スーパーの冷凍食品コーナー。ガラスの引き戸をのぞき込み、チャーハンやグラタンのパッケージを一つずつ手に取って、裏面の表示にじっと目を落としている人がいます。
買い物中の主婦——ではありません。当院(ごうホームクリニック・名古屋市天白区)の管理栄養士です。
これは「献立を紙に書いて渡す」栄養指導の話ではありません。栄養士が患者さんの暮らしの動線まで降りていって、「この人が、この家で、本当に食べ続けられる形」を一緒に探していく――訪問栄養食事指導の現場に密着しました。
噛めない、買い物に行けない、自分では作れない。いくつもの「食べられない理由」を、栄養士はどうほどいていったのか。一人の在宅患者さんへの関わりを、時系列で追います。
目次
■スーパーの冷凍食品売り場に立つ栄養士
栄養士の仕事というと、栄養計算や献立づくりを思い浮かべる方が多いかもしれません。けれど在宅の現場では、栄養指導はテーブルの上だけでは終わりません。その人が実際に手に取れる食品はどこに、いくらで売っているのか——売り場の棚の前まで、栄養士は足を運びます。
■「食べられない」の正体は、ひとつではなかった
あるご高齢の女性。在宅医療が始まったとき、体は痩せ、栄養状態を示す指標は低いところに沈んでいました。「しっかり食べてください」——そう言うのは簡単です。けれど、この方が食べられなかった理由は、ひとつではありませんでした。
- 上の入れ歯がなく、硬いものが噛めない
- 歩くこと自体が難しく、買い物に出られない
- 体調の都合で宅配のお弁当も受け取りづらい
- 台所に立てず、自分では調理できない
- 同居のご家族との関わりは薄く、別に暮らすご家族が頻繁に通って支える——支援できる手は限られている
「食べる」という当たり前の行為の前に、いくつもの壁が積み重なっていました。ここをほどいていくのが、管理栄養士の仕事です。
■5月、医師の指示から始まった
きっかけは主治医からの指示でした。栄養士はまず、ご本人とご家族が集まるサービス担当者会議に出席します。ケアマネジャー同席のもと、ご本人とご家族から「管理栄養士が入ること」への同意をいただき、料金の説明を済ませます。
そして、いちばん大事な聞き取りへ。いま何をどのくらい食べているか。何が好きか。何なら口に運べそうか。数字を測る前に、まず暮らしと好みを知るところから始まります。
■提案の前に、栄養士は「家族が使うスーパー」へ下見に行った
ここからが、この密着で最もお伝えしたい場面です。
栄養士は事前にケアマネジャーから、「ご家族がいつも買い物に行くお店」の情報を集めました。そして、提案する食品が次の条件を満たすように練り上げていきます。
- 噛む力に不安があっても食べやすい、軟らかいもの
- 少量でも栄養をしっかり確保できるもの
- ご本人の好みに合うもの
- 調理いらず、もしくは電子レンジで温めるだけで食べられるもの
- 日持ちがするもの
- そして——ご家族が無理なく買えるもの
最後の条件が、机上の栄養計算では出てこない視点です。どれだけ理想的な食品でも、ご家族がいつもの店で手に取れなければ、続きません。
だから栄養士は、実際にその店舗へ足を運び、下見をしました。提案しようとしている商品が本当にそこに並んでいるか。棚の前に立って、一つずつ確かめていきます。
■初回訪問——「資料」ではなく「買い物リスト」を渡す
下見を終え、栄養士はご自宅へ向かいます。手にしているのは、ありきたりの栄養指導パンフレットではありません。実際に近所の店で買える商品を、写真付きでまとめた提案資料です。
テーブルに資料を広げ、ご家族と一緒に一品ずつ確認していきます。「これは温めるだけ」「これなら軟らかい」「この棚にあります」。栄養の話と、買い物の話が、地続きでつながっていく時間です。
そして提案した日の当日、ご家族から栄養士のもとに一枚の写真が届きました。「さっそく買ってきました」——テーブルに並んだのは、提案した栄養強化パンや軟らかいおかず、温めるだけのグラタンやハンバーグ、栄養補助の飲み物。提案が、その日のうちに食卓へ変わった瞬間でした。
■月2回の継続——「食べたい」が戻ってきた
訪問栄養食事指導は、月2回のペースで続いています。
しばらくして、ご本人の様子に変化が出てきました。食欲が戻り、食事の摂取量が増えてきたのです。診療の場でも「食事も取れてきたので、やる気が起きるようになった」と、食べたいものをリクエストされるほどに。食べられるようになることは、生きる意欲そのものを押し上げます。実際、栄養状態を示す指標も上向いてきました。
もちろん、順調なことばかりではありません。食欲が戻ると、今度は「食事内容に偏りが出てくる」という新しい課題も生まれます。そこも栄養士の出番です。ご家族からの相談を受けて、その都度アドバイスを重ね、バランスを整えていく。一度提案して終わり、ではなく、暮らしの変化に合わせて伴走し続けるのが、訪問栄養食事指導です。
温かい食事が、また食卓に戻ってきました。
■「現場に出る管理栄養士」という仕事
この密着で見えてきたのは、管理栄養士の仕事が、栄養計算や献立作成にとどまらないということでした。
噛む力、買い物の手段、調理ができるか、誰がどこまで支えられるか——その人の暮らし全体を見て、「実際に続けられる一手」に翻訳する。そのために、必要なら店の棚の前にだって立ちます。
そして訪問栄養食事指導は、栄養士ひとりで完結するものでもありません。主治医の指示があり、ケアマネジャーが暮らしの情報をつなぎ、訪問看護や訪問介護が日々を支え、ご家族が買い物と食卓を担う。多職種がそれぞれの持ち場でつながって、はじめて一人の「食べる」が支えられます。
「食べられない」には、必ず理由があります。その理由を一つずつほどいていく専門職が、ご自宅まで伺います。食事のことでお困りごとがあれば、どうぞお気軽にご相談ください。
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ごうホームクリニック
院長 伊藤剛

